今年も3月11日が過ぎていきました。
私は東北で被災したわけでもない。
直後に足を運んだわけでもない。
正直、今となっては何も言えないほど他人事でした。
それでも私にとっては東北が全ての原点になっています。
私を変えた「人」との出会い
町や産業の復興に日々邁進する方々。
そしてみちのく未来基金を通じて出会ったみんな。
たくさんの大切な人やモノを失っても、前を向いて一歩一歩進む姿に、私自身のこれまでの価値観が大きく変わりました。
この文字だけを見ると、ごく当たり前のことを書いているだけ…としか感じられないけれど、正直簡単なことではなくて。
前に進む過程でも葛藤や思い通りにいかないこともたくさんあるし、頑張ることに疲れることも。
「私にできることは何だろう?」と考えながら、共に過ごしてきた2年間。
その一つに「話を聴くこと」がありました。
私にできた数少ないこと「聴く」
私は2年間公益財団法人みちのく未来基金に出向していました。
年に1回面談をしており、嬉しかったこと・楽しかったこと・頑張っていることはもちろんのこと、大変なこと・辛いこと・悩んでいることなど、人それぞれ話をします。
生まれも育ちも誰一人として同じ人はいない。
正解・不正解、いい・悪いなんてない。
学費の給付が最大の目的だったが、いつの間にかみんなの気持ちに耳を傾けることも大切なことになっていました。
「聞く」ではなく「聴く」。
一人ひとりが未来に向かって歩めるように、聴くことに徹底する。
言葉にできない想いも全部、受け止める。
当時、私は社会人3・4年目。
話を聴く専門家ではなかったものの、私にできる唯一にして最大限のことでした。
無力さのなかにあった可能性
2年間でどれだけの子と話をしたか、もはや覚えていません。
例え私が話を聴いたとしても最終的には相手の受け取り方次第だし、相手の考え・決断が全て。
私の想い通りになるとは限らない。
「あの時こうしていれば…」「なぜこうなったんだろう…」
話を聴くことはそう簡単ではないし、私自身の無力さを感じたこともありました。
人はそう完璧ではない。
強い人でも、どこかには弱さがある。
しかもこのバランスは日々変わり、何かのきっかけでこれまでなかった感情が現れることも。
それでも「話ができてよかった」と最後にポロッと言ってもらえたり、「なかなか話せなかったけど…」と私だからこそと話をしてくれることもたくさんあったのです。
話をすること・話を聴くこと。
この循環を通じて人は生きていくことができるのだ、と一種の可能性を感じたのです。
前を向いて「何かに頑張りたい」と思う人はたくさんいるはずです。
私もその一人です。
もちろん順調にいくのが何よりだが、いいことばかりではないはず。
そんな時に「ふと一息ついて『もう一回頑張ってみようかな』と思えるような寄り添いができたら嬉しいな」と思っています。
カウンセリング寄りの話ですが、一人ひとりバックグラウンドは異なるもの。
そんななかでも人はそれぞれパワーを持っていると信じているし、そのパワーを後押しできる存在であれるように…と、3月11日を経て、改めて感じています。
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